2009/12/02

Tu fui, ego eris.

『万延元年のフットボール』は、
私に小説家の道をあきらめさせた作品だ。
私が常々書きたいと思っていたことが
「既に書かれて」しまっていること。
それも当時の自分と比べて圧倒的な筆力で。
私は完全に敗北したことを実感し、あきらめてしまった。
どの分野でもそうだが、本物の天才には、
凡人では到底太刀打ちできない凄みを感じるものだ。
彼が私にとってそうだったのだろう。
逆を言えば、自分をそれほどの存在(ライバルは大江)だと
高く見積もっていたことになる。
今思うと、本当に傲慢で滑稽だったというしかない。
eitelkeit(アイテルカイト=虚栄心)は、
自分用の戒めとして、
自分の携帯アドレスの一部にも採用しているが、
この言葉を反復することで、恥ずかしさとともに
自らのエゴの浅薄さを自分の心に打ち込むよう
自己暗示・自己洗脳をかけている、
とでも言おうか。

それでもなお「書くことが残っている」と信じることができる
人間だけが、ものを書き続けることができるのだろう。
自分にとってはその信念を信じることができなかった。
逆説的に、否定を書き連ねることでしか、私の言説は存在できない、
過去の自分はそんな風に結論づけて、
打ちひしがれていた、ように思う。
友人からは「そんなに深刻になるなよ」と慰められたが
理屈ではない空虚感が漂っていたのは事実だ。
短絡化する思考の中で、
『1984』のニュースピーク、ダブルシンクに
納得してしまう心の弱さが、私に語りかける。

「私はあなたであった。あなたは私になるだろう。」

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