マリオを脇でやりながら、究極幻想13のフラゲ配信を見ていたら
寝不足で眠い。ことあるごとに別件で睡眠不足なのだから
睡眠不足が常態だということです。
昔は意味がわからず、睡眠薬になっていた
『存在と時間』や『差異と反復』が
なんとなくなじむようになってきた。
ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は
当時から面白い本だったが、今読むと味わいも
変わるのだろうか。
青森の友人が「最近ようやく構造主義がわかるようになった」と
言っていたが、年を経ないと理解できないものがあるようだ。
当時の文学部の同級の中では、哲学好きはそれほどいなかった。
近しい仲間うちでバルトだとかポスト構造主義だとか、デリダとか
わいわいやっていたが、理解できていたとは到底思えない。
ある人の長年にわたる思索の結果表出されたものが
若冠20歳前後の人間に完全に理解できると思う方がおかしい。
Exit・・Exit・・
ふとそんなことを思い立った(思考の流れを小説にする・・ブロンテ
失われた時を・・・、フォークナー、おお思い出した面白い小説
だった・・ナブコフ)が、話は「究極幻想」だ。
究極幻想13は畸形の申し子と言える。この幻想は製作者の限界をも
露呈し、いびつな世界観を構成している。映像の限界、思索の限界、
想像力の限界、物語の限界など、
語りうるべきことはいくらでもあるが、
究極幻想の信者だった者にとっては、この系譜が「正統」になって
しまっていることに落胆と失望を感じるのだ。畸形のgameには
裏道を歩いて欲しい。好事家に評価が高ければそれでいい。
1 件のコメント:
ホールの大画面でマリオやりたいでごわす。
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